TOSHIMI物語 – Part6── ニューヨークで見えた未来

TOSHIMI T

ニューヨークで見えた未来

――「市場を知る」とは、空気を吸うこと

この物語は、

「OBBIJIN奮闘記」「KIWAKA物語」を経て、

私が“第二の挑戦”として歩み始めた
TOSHIMIというブランドの記録です。

今回は、
「自分のブランドが、どこでどう生きるのか」
その輪郭が、初めてはっきりと見えた出来事をお話しします。


1.完成後も続く「最後の問い」

2019年4月。
イタリア・サロンノでの撮影を終え、帰国した私は、
KIWAKAの販売を続けながらも、
TOSHIMIに残された最大の課題と向き合っていました。

それは、
「ファスナーの引手を、どこまで昇華できるか」
という問いです。

なぜ、そこまでこだわったのか。

それは、
「ファスナー=カジュアル」という固定観念を

壊したかったからでした。


2.否定の言葉は、挑戦の起点になる

KIWAKAをリリースした直後、
あるご年配のオートクチュールデザイナーに
iTOP™を見ていただいたことがあります。

その時、彼は淡々とこう言いました。

「社交界にはファスナーは相応しくない。

 通用しませんよ。」

正論だったと思います。
けれど同時に、
私の中に小さな火が灯りました。

「それでも、私はやりたい。」

社交界で認められるかどうかは、二の次。
まずは、“常識そのものを革新したい”
その想いが、私を前に進ませていました。


3.宝石にする、という覚悟

TOSHIMIで
ファスナー引手を宝石でつくると決めた時
あの言葉が何度も脳裏をよぎりました。

「通用しませんよ。」

だからこそ、
私は心の中で誓いました。

「必ず、あなたにも認めてもらえる形に仕上げる。」

時間をかけ、
妥協せずに完成させた
TOSHIMIのパーティーバッグ。

社交の場に持つことを
自分自身が誇れるデザインに
ようやく辿り着いたのは、
2019年9月頃のことでした。


4.「これは、ニューヨークだね」

ちょうどその頃、
ニューヨークに精通する
フードプロデューサーのYさんに
バッグを見ていただく機会がありました。

彼女は一目見るなり、
迷いなく言いました。

「これは、ニューヨークだね。」

その一言が、
私の中で何かを決定づけました。

アメリカには何度も行ったことがある。
けれど、ニューヨークは未踏の地。

「このブランドは、
 どんな都市の空気を吸うべきなのか」

その答えを、
実際に確かめに行きたいと思ったのです。


5.評価は、想像以上に近い場所にある

思い返せば、

KIWAKAをリリースした直後
ニューヨーク在住の
ジェニファーという女性から
問い合わせを受けていました。

「彼女に会いたい。」
「実物を見てもらい、評価を聞きたい。」

そう思い、
完成したTOSHIMIのプロダクトを携えて、
私は単身ニューヨークへ向かいます。

ジェニファーは、
バッグを手に取ると、
笑顔でこう言いました。

「あなたは、サムライね。」


6.未来を“先に見せてくれる人”

彼女は私を、
ニューヨーク5番街の
BERGDORF GOODMAN
Plaza Hotel へ案内してくれました。

そして、こう続けたのです。

「トシミ、あなたのブランドはここにふさわしい。
将来、ここに並ぶ姿をたくさんイメージして。
そして、必ずそうなるわ。」

その表情は、とても真剣でした。

私はその言葉を、
今も大切に心に留めています。

ブランドの未来は、
自分より先に“信じてくれる誰か”が
見せてくれることがある。

その事実を、
この時はじめて実感しました。


7.思い通りにいかない旅にもご縁。

このニューヨークの旅は、
決して順風満帆ではありませんでした。

記録的な寒波。
体調不良。
予定通りに進まないスケジュール。
帰国便の大雪による遅延。

成田到着は夜9時過ぎ。
大阪へ戻れず
当時横浜に住んでいた大学生の姪のもとへ
最終バスで向かいました。

深夜まで研究室で教授を手伝っていた姪が
教授とともに横浜駅まで車で迎えに来てくれ
夜11時半、ようやく横浜に辿り着いたのです。

今では笑い話ですが、後に私は

その教授に二回目となる助けをもらいます。
この時のご縁も、ほんとうに有り難かったです。


私からお伝えしたいこと

このPartでお伝えしたいのは、

「市場調査は、数字だけでは終わらない」
ということです。

  • 実際に足を運び、空気を吸う

  • 評価してくれる“生身の人”に会う

  • 自分の視座を、都市レベルで引き上げる

ニューヨークで見えたのは、
“今の自分”ではなく、
“これから向かうべき未来の景色” でした。

TOSHIMIは、再び
世界基準の視点を感じれたのでした。

つづく──