**TOSHIMI物語 | Part2 ── 国際舞台で生まれた確信**

TOSHIMI T

この物語は、ものづくり経験ゼロの私が新規事業
「OBBIJINプロジェクト」を立ち上げ(OBBIJIN奮闘記
自身初となる鞄ブランド「KIWAKA」を創り上げ(KIWAKA物語
そして予期せぬ最悪の事態を経て土俵を変えながら
自分自身のブランドを軌道修正し“第二の挑戦”に踏み出した記録です。

第一章である「OBBIJIN奮闘記」で種をまき
第二章「KIWAKA物語」でブランドの核を育て
そして今——私は
第三章となる“新たな覚悟の物語”に向き合っています。
それが、「TOSHIMI物語」です。

── 国際舞台で生まれた確信

新規事業の立ち上げ当初から伴走してくださっていた

コンサルタント・K氏のご縁で、2017年

私は某海外文化協会のメンバーとして

1年間活動する機会を得ました。
ミラノ・トリノ・プラトーへの海外出張にも同行し

その過程で、後のブランド展開に大きな影響を与える

出会いが次々と生まれていきました。

翌2018年3月には、大阪商工会議所主催の「中東バイヤー商談会」への

エントリーが採択され、出展権をいただくことに。
「日本の技術をしっかり伝えたい」との思いから

当日は着物の訪問着をまとい

和の精神とともに商談会へ臨みました。

会場には各国のバイヤーが並び

多くは日本の食材を求めて来場していました。
その中で雑貨関係に関心を示してくれていたのは

サウジアラビアのバイヤーただ一人でした。

当時すでに、私は「次はジュエリーの世界へ進む」
という構想を描き始めていましたが

まだ形にするには準備が必要な時期。
この日はKIWAKAのクラッチとミニバッグを中心に

プロダクトを紹介していました。

商談は通訳を含む三名で進みましたが

商品を並べた瞬間に通訳の女性が思わず声を上げました。

「わぁ、素敵…!」

バイヤー自身も日本語が堪能で、会話は終始スムーズ。
ブースの空気が自然と和み

互いに笑顔が広がる時間となりました。

私は以前から抱いていた疑問を率直に尋ねました。

「東南アジア(特にタイ)では“金華山織の厚地は

暑さや雨に合わない”と言われました。
中東ではいかがでしょうか?」

彼は柔らかな笑みを浮かべて答えました。

「中東は灼熱ですが、生活の多くは冷房の効いた室内です。
ですから問題ありません。
それに、この華やかな柄はとても好まれます。」

そして、思いがけない言葉が続きました。

「一番魅力的なのは、このファスナー引き手です。
こんなエレガントな引き手は見たことがない。
本物のパールにしてもいい。中東では真珠が人気ですよ。」

その会話を聞いていた隣のドバイのバイヤーまで関心を示し
その場で商工会議所に“私との対談希望”を申請してくださったのです。

──その瞬間、胸の奥で小さく、しかし確かに火が灯りました。

KIWAKAの引き手は、国境を越えても価値として成立する。

その実感は、静かに、しかし揺るぎなく私の中で確信へと

変わっていきました。そして、この経験が

後の TOSHIMIブランド誕生 の重要な礎となります。

しかし同時に、心の奥では別の声もささやいていました。

──「このままKIWAKAを続けるべきなのだろうか?」

国際舞台で得た手応えと、ブランドの未来への葛藤。
その両方が、この時の私の背中を確かに押していたのです。
つづく・・・